名選手必ずしも名監督ならずへ物申してみる
たまたま「名選手必ずしも名監督ならず。」という言葉を目にしたので常日頃この言葉を聞くたびに感じる違和感について書いてみる。
- 名選手が必ずしも名監督でないことは事実
- でもその凡監督も名選手だったことは認めてあげよう
- 野球なら高校3年間を甲子園にささげドラフト会議でようやくプロになった
- その後も10年以上1軍として活躍してきたはず
- その点については敬意を表すべき
- 名選手は名監督でないかもしれないが三流選手が名監督でありえるだろうか?
- 万年2軍選手が1軍の名監督になれるのか?
- そもそもプロの選手でなかった者がプロ野球の監督になれるのか?
- 監督になるチャンスすら与えられないかも
- 一流の選手をまとめられるのは一流選手だった者のみ
- 一流の経験を知っているから
- 一流の苦労を知っているから
- 一流の成功を知っているから
- 名選手が監督になるのは不自然なことじゃない(結果名監督にはなれないにしても)
- 優秀な選手は自分の使われ方をしっている
- 上司が名監督じゃなくてもちゃんとプロの仕事ができる
- 凡監督にも上手に使われてあげられる
- 自分はまだ一流の選手にすら成れていないんじゃ?
- 上司が名監督じゃないと嘆く前に自分を一流の選手にしよう
- 自分はまだプロの選手にすら成れていないんじゃ?
- 上司が名監督じゃないと嘆く前にプロの選手になろう
アホな上司がいる職場で働くのも悲劇だけどそれに付き合って自分も一緒に腐るのはもっとアホらしいでしょ。
訂正
- 一流の監督のみ→一流選手だった者のみ